第五十八章 坎井不知江河宽(一)(2 / 2)

富士山之雪 靰鞡草 1542 字 1个月前

岛本敬二满脸老师的尊严,说道“横田君,これは中国昔,老子という人が言った言叶だ。こ老子は李名耳といい,古代中国伟大な思想家、哲学者、文学者、史学者である横田君,我说的这段话是中国古时候一个叫老子的人说的。这个老子姓李名耳,是中国古代伟大的思想家、哲学家、文学家和史学家”

横田正雄暗想道“岛本大佐说的老子原来不是骂老子,是中国古代的一个大人物本来嘛,虽然说一日为师终身为父,但老师毕竟不是老父”

岛本敬二哪里知道横田正雄在想些什么,他就像在课堂上给学生们讲课,仍然滔滔不绝地说道“三十本スポークを一つハブにくっつけて、真ん中が空いているからこそ、车役割があるというが老子言叶です。粘土を混ぜて器具を作るは、真ん中が空いているからこそ、器具役割をするです。戸や窓を削って家にして、真ん中が空いているからこそ、家役割があるです。だから、あることが人を便利にし、ないことが最大役割なです。老子こ言叶は、无役割を説明し、有と无関系を説明し、无価値を重视するように、三つ比喩を使って例を挙げています。

岛本敬二所说的是影山善富贡对老子这段话的理解,鹦鹉学舌而已。这段话翻译过来的意思就是“老子这句话意思是,三十根辐条凑到一个车毂上,正因为中间是空的,所以才有车的作用。糅合黏土做成器具,正因为中间是空的,所以才有器具的作用。凿了门窗盖成一个房子,正因为中间是空的,才有房子的作用。因此,有带给人们便利,无才是最大的作用。老子的这段话用了三个比喻,举了三个例子,说明无的作用,也说明有和无的关系,提醒人们重视无的价值。”

横田正雄这个人本来很聪明,岛本敬二这一说,他立刻恍然大悟。可横田正雄对岛本敬二“老子”长、“老子”短的还是很别扭。实事求是的讲,也不能就此就说横田正雄不学无术。“老子”的日语发音是“おや”,就是“老爹”的意思。横田正雄不知道岛本敬二所说的“老子”实际上是李耳,以为岛本敬二今天的脑瓜子让门弓子抽了,自称是他横田正雄的“老爹”。

横田正雄不想吃亏,就加重了“老子”的语气,举一反三的说道“高见先生老子は人になるにしても仕事をするにしても,无価値を见なければならないと言っています。鉢やコップなど器は中身が空っぽ,つまり无なで,物を入れることができます。人建てる家は内部が无なで,人を住める。人は目に见える现物を见て,无,つまり空価値を见落としがちです老师高见老子是说不管是做人还是做事,一定要看到无的价值。盆子、杯子等器具内部是空的,也就是无,所以能装东西。人建造的房子内部是无的,所以能住人。人们很容易看到眼见的实物,却忽略了无,也就是空的价值。”,